2025年度学会学生企画
日本熱帯医学会学生部会(Japanese Society of Tropical Medicine Students’ Branch)
企画概要

概要
演題名
公平なヘルスケアの実現に向けて ―理想と現実をつなぐ実践的な方策―
Toward Equitable Healthcare: Practical Strategies to Connect Ideals with Reality
日本熱帯医学会学生部会(J-Trops)は発足から5年を迎え、「熱帯医学を志す学生が学術研究に主体的に関与し、将来の熱帯医学を牽引する人材を育成する」ことを目標に活動してきました。これまで学生勉強会、学会での企画、合宿などを通じて、熱帯医学の現状や課題を学び、議論を積み重ねてきました。今後は「学び」から「実践」へと進み、課題解決に挑んでいきたいという希望があります。本企画では公平なヘルスケアをテーマに、プレゼン発表後、パネルディスカッション形式で議論を進めました。
目的
- 学生も学会員として主体性を持ち、課題解決に取り組む一歩とする。
- 議論を通じて得られた内容を、J-Tropsの今後の活動および学生の将来のキャリア形成に役立てる。
内容
演題1 公平なヘルスケアに関する課題探究およびその解決策
公平なヘルスケアの実現を考える上で、ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(Universal Health Coverage:UHC)を基に、以下の3つの観点から現状・課題・対応策を整理しました。
① 経済的格差とUHC
② デジタルヘルスの有効性と注意点
③ 気候変動と公平なグローバルヘルス
演題2 現場経験を踏まえた理想と現実のギャップ
学生が海外でのフィールドワークや研修を通じて得た経験をもとに、公平なヘルスケアの実態および方策について、現場と照合することを試みました。
演題3 専門家との議論によりギャップを埋めるための方策と必要な視点や行動
公平なヘルスケアの実現に向けて課題解決をしていく際に、現場で直面する壁を乗り越えるための対応策や必要な視点・行動について、熱帯医学および国際保健分野で活躍する専門家とパネルディスカッション形式で議論しました。
メンバー
学生企画メンバー
- 熊本大学医学部医学科5年 大城健斗*
- 長崎大学医学部医学科3年 﨑元瑞紀*
- 長崎大学医学部医学科1年 吉田知史*
- 長野県看護大学看護学部看護学科3年 庄村萌々*
- 九州大学医学部医学科4年 佐野涼葉*
- 九州歯科大学歯学部歯学科4年 大澤彩夏*
- 長崎大学大学院熱帯医学・グローバルヘルス研究科1年 北村亜依香*
- 東邦大学医学部医学科5年 瀬戸美穂
- 国際医療福祉大学医学部医学科4年 田村晃子
*登壇者
ご協力いただいた先生方
- 東京大学大学院医学系研究科 国際保健政策学 教授/長崎大学大学院 熱帯医学・グローバルヘルス研究科 教授・研究科長 橋爪真弘先生
- 琉球大学医学部保健学科国際地域保健学教室 教授 小林潤先生
- 長崎大学グローバル連携機構 助教 森保妙子先生
- 長崎大学熱帯医学研究所生態疫学分野助教 加賀谷渉先生
- 琉球大学大学院医学研究科細菌学講座教授/熱帯医学会会長 山城哲先生
学会発表報告
演題1
演題1では、公平なヘルスケアの実現を考える上で、ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(UHC)を基に、以下の3つの観点から現状・課題・対応策を整理しました。
① 経済的格差とUHC
② デジタルヘルスの有効性と注意点
③ 気候変動と公平なグローバルヘルス
公平なヘルスケアの実現に向けた目的は、全ての人が健康になる公正な機会を持つことです。UHCは、必要なときに質の高い医療サービスを経済的困難なく受けられる「仕組み」であり、健康の公平性を達成するための重要な手段の一つです。本発表では、UHCが公平なヘルスケアを実現する「中核」としての機能を果たすことに着目し、UHCキューブを用いて3つの観点について現状・課題・対応策を整理しました。UHCキューブは、カバーされる人、カバーされる医療サービス、カバーされる費用から構成され、UHCを検討する際の重要な指標となっています。
3つの観点を選んだ理由は以下の通りです。
経済的格差とUHC:UHCの達成に最も大きな影響を与える要因の一つであることに着目したため。
デジタルヘルスの有効性と注意点:UHC達成の有効な手段となる可能性に着目したため。
気候変動と公平なグローバルヘルス:UHC達成に対する重大な脅威となることに着目したため。
経済的格差とUHC
この観点では、「UHCの達成においてカバレッジが十分に行き届いていない要因の一つとして、経済的格差が大きく影響していること」を伝えることを目的として発表しました。具体的には、経済的弱者ほど医療から排除されやすく、医療費負担の増大や医療の質の低下につながっている現状を示しました。UHCカバレッジの停滞、国家間の経済格差による医療提供水準の差、医療費負担による貧困の拡大などにより、今後も状況が悪化する傾向にあることを示し、課題としては貧困層への人口カバレッジの不足、所得格差による医療サービスカバレッジの不均衡、医療費負担の問題を挙げました。対応策として、貧困層への補助制度の充実、地方におけるプライマリーヘルスケアの拡充、自己負担上限額の設定に加え、交通費などの「隠れた費用」への支援策を提示しました。
デジタルヘルスの有効性と注意点
この観点では、「UHCの実現において、デジタルヘルスはアクセスの不平等を是正する大きな可能性がある。しかし、既存の格差への対応・公平性の評価なき導入は、格差の拡大を招くこと」を伝えることを目的として発表しました。現状としてデジタルヘルスの有効性を示した後、既存の格差に配慮しない導入は、かえって格差を増大させる可能性がある点も指摘しました。対応策として、不公平を生じさせずにデジタルヘルスを活用するため、①研究の発展と理論に基づいた評価、②デジタルヘルスによる利益を得られない層への政策・実践における対応、の2点を提示しました。
気候変動と公平なグローバルヘルス
この観点では、「気候変動はUHC達成の脅威であり、特に気候変動の影響を最も受けるのはUHCのサービスカバレッジが最も低い国々である。被害の最小化(緩和策)と、被害に耐えるシステムの整備(適応策)が重要である」ことを伝えることを目的として発表しました。今後予測される気候変動による健康被害に言及し、UHCサービスカバレッジが低い国が最もその影響を大きく受けていることを示しました。対応策として、温室効果ガス排出削減による緩和策と、気候変動による影響に備える適応策の両面から具体的な方策を示しました。さらに、災害や社会的ショックから迅速に回復し医療機能を維持するためのレジリエンス強化や、健康の社会的決定要因に関わる他分野との連携の重要性についても示しました。
演題1では、公平なヘルスケアをUHCを軸として考察することにより、私たち学生にとっても理解しやすい形で課題を整理することができました。その結果、公平なヘルスケアおよびUHCに関する理解を深めることができました。
演題2
演題1が文献を基にした課題探究であったのに対して、演題2では、学生が海外でのフィールドワークや研修を通じて得た経験をもとに、公平なヘルスケアの実態および方策について、現場と照合することを試みました。メンバーのうち2名がそれぞれ、マラウイ、カンボジアでのフィールド経験をもとに、気候変動・経済的格差・デジタルヘルスの観点から、公平なヘルスケアの現状と課題について発表しました。
マラウイ
医療における現状
医療費は基本的に無料であるものの、交通費、入院中の食費、付き添い家族の滞在費などの医療費以外の負担については補償されていません。また、医療設備や薬剤、医療スタッフの不足、地域住民の健康に関する知識不足、インフラの脆弱性が課題として挙げられます。
気候変動、経済的格差
サイクロンや干ばつが農村部を直撃し、インフラや農地などの生活基盤が破壊される状況が繰り返されています。自然災害により農業で生計を立てている多くの住民が収入源を失い、生活が困窮します。その結果、自然災害の影響を受けにくい都市部と農村部の経済的格差が拡大し、医療アクセスの公平性を妨げる要因の一つとなっています。
デジタルヘルスの可能性
政策としてデジタルヘルス戦略が策定されており、スマートフォンの普及率も高く、送金アプリなどの利便性の高いサービスが利用されています。一方で、不安定な電力供給やインターネット環境が課題となっています。
カンボジア
医療における現状
国民皆保険制度が整備されていないこと、医療施設・医療従事者の不足、教育体制の停滞、高額な医療費、医療への物理的アクセスの困難さなどが課題として挙げられます。
気候変動、経済的格差
カンボジアでは降雨パターンの変動が激しくなっており、洪水や干ばつの頻度および規模が拡大しています。これらの災害は農業に大きな影響を与え、農業中心の経済に打撃を与えるとともに、都市部と地方部の経済的格差を拡大させています。その結果、医療への経済的アクセスにも影響を及ぼしています。
デジタルヘルスの必要性
物理的アクセスの制約を補う手段として、オンライン診療やAI診療への期待が高まっています。一方で、医療への不信感等の社会慣習的アクセスが、デジタルヘルス導入の障壁となっています。
まとめ
- 気候変動は人々の生活に大きな影響を及ぼし、経済的格差の連鎖につながっている。
- 気候変動による生活基盤の崩壊により、経済的格差や医療アクセスに影響が及ぶ。
- 制度の理想と現実との間にはギャップが存在し、多くの支援があっても支援から取り残される人々が存在している。
- インフラの脆弱性や医療従事者不足等の根本的な課題はあるが、デジタルヘルスの可能性は大きい。
- 今後は、デジタルを活用しつつ、現地の地域の歴史や文化、特性に合わせた取り組みを地域の人と共に考えていくことが重要である。
演題2を通して、実際の現場では複数の課題が複雑に絡み合い、相互に関連していることが示されました。そのため、公平なヘルスケアはより広い範囲で考える必要があることが明らかになりました。さらに、物理的アクセスや経済的アクセスの改善、医療者間の情報共有などにおいて、デジタルヘルス導入の必要性があり、医療サービスを向上させるために大きな可能性があることを認識しました。実際のフィールドで得た経験を基に現場と照合しながら検討することで、公平なヘルスケアの現状や課題を現場の視点から考察することができ、私たちにとって非常に有意義な学びとなりました。
演題3
演題3では、公平なヘルスケアの実現に向けた課題解決に取り組むにあたり、現場で直面する壁を乗り越えるための対応策や必要な視点・行動について、熱帯医学および国際保健分野でご活躍されている専門家の先生方とパネルディスカッション形式で議論を行いました。
- テーマ1:現場で公平なヘルスケアを実現する際に直面する壁と、その乗り越え方
- テーマ2:公平なヘルスケアの実現に向けて、必要な視点や行動について
パネルディスカッションでは、各テーマについて、まず学生側から意見を共有した後、専門家の先生方に質問を行い、ご助言をいただきながら議論を深めました。
テーマ1に関する議論
テーマ1に対する学生の意見として、現場において直面する主な課題として、以下の点を挙げました。
1)現地医療機関では優先度があり、公平性は後回しにされやすいこと
2)ヘルスケアシステムや制度を公平に提供しても、全ての人に利用してもらえていないこと
これらの課題を克服するための乗り越え方として、「現地の人からも理解と協力が得られること」「限られた資源や制限の中でもできること」の重要性を示し、その2点に関する具体的な考えを示しました。これらを踏まえ、以下の質問を行い、先生方のご意見を伺いながら意見交換を行いました。
1)現地のスタッフ中心で、住民からも理解を得られる最適な方法を見つけるためには、どのようなアプローチやコミュニケーションが必要でしょうか。
2)限られた資源や制限の中で、人材育成、既にある仕組み、資源を活用するにはどのような工夫が可能でしょうか。
テーマ2に関する議論
テーマ2に対する学生の意見では、公平なヘルスケアの実現に向けて必要な視点と行動に関して以下の点を挙げました。
1)必要な視点:公平なヘルスケアに関連する知識、現場の実情に対する知識、多機関連携、多分野連携
2)必要な行動:医学と関連付けて幅広く他分野の知識を学ぶ、多分野・多機関で互いのことを理解し合う、学生のうちから行動する
これらを踏まえ、以下の質問を行い、先生方のご意見を伺いながら議論を行いました。
1)公平なヘルスケアに向けた課題解決に貢献するため、これから自分たちは現場でしか得られない視点を習得し、活用できるようになりたいと思っています。どのように習得し、実践に活かすことができるでしょうか。
2)多分野連携を行っていく上での重要な視点やコツはありますか。
今回の議論を通して、海外のフィールドで現場を見据えた課題解決に取り組んでいく上で、画一的な方法論や明確な正解が存在しないことに気づきました。日常生活においても、常識を問い直す姿勢を持つことや、興味・関心のある分野に積極的に挑戦し、継続的に学習することが重要であり、その積み重ねが将来、課題解決に必要な能力や人とのつながり、対応力の形成につながると感じました。また、今後発展が見込まれるデジタルヘルス技術をどのように現場へ導入するか、多分野連携の中で生じる課題をどのように克服するかについても、十分に理解した上で取り組む必要があると考えました。先生方からいただいたご意見を通して、今後、私たち学生が国際協力の現場においてどのように行動すべきか、またそのために必要な準備や姿勢について深く考えるきっかけとなりました。
謝辞
本学会の学生企画におきましては、熱帯医学会の先生方とZoomを通じて企画内容についてご助言をいただきながら、発表準備を進めてまいりました。
企画段階よりご指導・ご助言を賜りました、東京大学大学院医学系研究科 国際保健政策学 教授/長崎大学大学院 熱帯医学・グローバルヘルス研究科 教授・研究科長 橋爪真弘先生、琉球大学医学部保健学科国際地域保健学教室 教授 小林潤先生、長崎大学グローバル連携機構 助教 森保妙子先生、長崎大学熱帯医学研究所生態疫学分野 助教 加賀谷渉先生には、多大なるご支援を賜り、心より御礼申し上げます。先生方からいただいた貴重なご助言のおかげで、本企画をより充実した内容にまとめることができました。
また、当日は、橋爪先生、小林先生、森保先生にご登壇いただき、パネルディスカッションにおいて貴重なご意見を賜りましたこと、誠にありがとうございました。本学会企画は、企画メンバーにとって非常に貴重な経験となっただけでなく、発表を聴講したJ-Tropsの学生にとっても大きな刺激となりました。先生方の現場でのご経験や専門的知見に基づくご意見は、今後、国際保健および熱帯医学分野で活躍していく学生にとって、大変意義深い学びとなりました。
最後になりましたが、ご多忙の折にご協力いただきました橋爪先生、小林先生、森保先生、加賀谷先生、ならびに平素よりお世話になっております、日本熱帯医学会会長 山城哲先生に心から御礼申し上げます。今後ともご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。
文責:長崎大学大学院熱帯医学・グローバルヘルス研究科1年 北村亜依香
長野県看護大学看護学部看護学科3年 庄村萌々
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2025年度